1979年、中学卒業と同時に渡欧。ウィーンでピアノを故ブルーノ・ザイドルホーファー及びブランコ・チュベルカに師事。その後、指揮を故クルト・ヴェスに師事。1982年よりミュンヘン、マインツで故セルジュ・チェリビダッケに、バイロイト音楽祭でホルスト・シュタインに師事。1986年よりケルン放送交響楽団他で、故ガリー・ベルティーニのもと、さらに研鑽を積む。故レナード・バーンスタインにも師事。イサーク・カラブチェフスキー及び小澤征爾のアシスタントを務めたこともある。
1992年、チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会で正式デビュー。以後、チェコ、ポーランド、旧ソ連等を中心に活躍、チェコ・ナショナル交響楽団、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団、他を指揮、多数のCDをレコーディング。
ウィーンで指揮者のロリス・チェクナボリアンと知り合いになったことがきっかけとなり、1993年、アルメニア・フィルハーモニー管弦楽団を指揮、朝日、日経新聞紙上で大きな話題となった。以来2000年まで客演指揮者を務めることとなった。
2000年4月、井上の尽力により同オケは日本政府の無償資金協力を得て楽器等を一新、同年9月にはそれらの楽器の披露も兼ねて、井上自身のプロデュース、国際交流基金の助成によりアルメニアの首都、エレヴァンで「日本音楽週間」が実現した。この模様は朝日新聞紙上で大きく取り上げられた。
2001年から2003年までアルメニア国立放送交響楽団音楽監督・首席指揮者。
現在、ジャパン・シンフォニア音楽監督およびウィーン国際マーラー協会からの承認を得て活動中のアマチュア・オーケストラ、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラでも設立段階から音楽監督を務めている。
2011年秋からモンゴル国立音楽舞踏大学・客員教授に就任予定。
<井上喜惟の内外での評価>
一部の音楽通にカルト的人気を誇る若き天才。妥協を許さぬ音楽作り。
・・・・・K.I(2002年12月、HMVレヴュー)
イノウエは素晴らしく音楽的な耳と知識を持つ優秀な音楽家です。彼はこれまで様々な演奏会で指揮をしてきましたが、その仕事ぶりは非常に優れたものでした。アルメニア・フィルとの演奏会の録音が彼の能力を証明しています。
・・・・・ガリー・ベルティーニ(2002年11月)
このマーラー第6番の演奏は、真に注目すべきものであり、これほどまで異文化を消化し、表現していることに驚きを禁じ得ません。
・・ラインホルド・クビック、ウィーン国際マーラー協会副会長(2002年10月2日)
日本のアマ・オケをウィーン・フィルに一定期間変身させる。特に美しいポリフォニーを引き出すことにかけてはライバルを見つけるのは困難なほどだ。
・・・・・鈴木敦史(2000年11月、グラモフォン・ジャパン)
しっかりとした低音の上に和音が積み重なったドイツの音。しかもディテールは明瞭で、立体感がある。音楽の進行は慌てず騒がず・・・クレンペラーを連想したほどだ。
・・・・・許光俊(1998年2月、モーストリークラシック)
彼はまだ30代のはずだが、最近のチェリビダッケのようなスケールの大きい、そして透明で緻密な響きには感心した。
・・・・・平林直哉(1996年6月、CDジャーナル)
私は大きな才能に出会いました。彼が今後重要なキャリアを築き上げていくことを確信しています。